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伊予郡松前町・伊予市で不動産売却・買取などを手がける「株式会社クレインホーム」のスタッフがお届けするブログです。不動産に関するお得情報や知っておいてほしいトピックス、またクレインホームからのお知らせなどをアップしていきます。ぜひご覧ください。

「金銭に罪はない」

わたしは普段の経験から、「論語とソロバンは一致すべきものである」という自説を唱えている。

孔子は、道徳の必要性を切実に教え示されているが、その一方で経済についてもかなりの注意を向けていると思う。これは「論語」にも散見されるが、特に「大学」という古典のなかで「財産を作るための正しい道」が述べられている。

もちろん今の社会で政治をとり行なおうとするなら、その実務のための必要経費が必ずかかってくる。

また、一般の人々の衣食住に関わる財務費用が必要になってくるのはいうまでもないだろう。一方で、国を治めて人々に安心して暮らしてもらうためには、道徳が必要になってくるので、結局、経済と道徳とは調和しなければならないのだ。

だからこそ、わたしは一人の実業家として、経済と道徳を一致させるべく、常に「論語と算盤の調和が大事なのだよ」とわかりやすく説明して、一般の人々が安易に注意を怠ることがないように導いている。

昔は、登用ばかりでなく、西洋でもだいたいにおいて金銭を賤しむという風習が極端に行われたようだ。もともと経済に関することは「得失」利益と損失という観点が先に立つものである。

だから、ある場合には譲り合いとか、私利私欲のなさといった美徳を傷つけるようにも見えてしまう。一般の人の場合、時にはこんな過ちに陥ってしまうこともあるから、強く戒めようとして、「金銭に近づいてはならない」といった教えを説く人がいた。その結果、自然と一般に定着していったのだろう。

かつてある新聞に、アリストテレスの言葉として、「すべての商売は罪悪なのだ」という意味の一文が引かれていたと記憶する。随分極端ないい方だと思ったが、よくよく考え直してこう思った。

つまり、すべての利益と損失を伴うものに対して、人は欲望に迷ってしまいやすい。すると、真っ当な生き方から外れてしまう場合も出てくる。

だから、こうした弊害を戒めるために、このような過激な言葉を使ったのだろう、と。人情の弱点として、どうしてもモノの方に目が行きやすいため、精神面を忘れてモノ偏重になる弊害が出てくる。これはやむを得ないことだろう。

そして、考え方が幼稚で、道徳もあまり持っていないような者ほど、この弊害に陥りやすいものだ。昔は、全体的に見れば、知識もとぼしく道義心にも薄いため、利益や損失に目がくらんで罪を犯すものが多かったと思われる。だから、ことさら金銭を軽蔑する風潮が高まったわけだ。

この点で、今日の社会の状況は、昔よりは知恵や知識もかなり進んで、思想や感情の面で洗練された人も多くなった。さらに言い換えれば、一般の人々の人格が高まってきているので、金銭に対する考え方もかなり進んできた。

立派な手段で収入を得るようにし、善意に溢れた方法でそれを使う人も多くなってきたので、金銭に対しては公平な見解を抱くようにもなってきている。

 

渋沢栄一「論語と算盤」ちくま新書より

  • 金銭に罪はない

(Kazu)