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果たして誰の責任なのか

「果たしてだれの責任なのか」

 

世の中の人は、どうかすると明治維新以後の商業道徳は、文明の進歩に肩を並べられず、かえって退歩してしまったという。しかし、私自身は、

「どうして道徳が退歩、ないしはすんでしまったのだろう」

とその理由がわからずに苦しんでいるのだ。たとえば昔の商工業者を、今日の商工業者と比較してみれば、一体どちらが道徳観念に富み、どちらが信用を重んずるといえるだろうか。わたしは、今日の方が昔よりも遥かに優れているとためらいなく断言できるのだ。しかし一方で今日、他のモノが進歩したようには道徳が進歩していない、というのは前にも述べた通りだ。この点、わたしは世間の説に反論しようとは思わない。

ただし、そんな社会で商業活動しようとするなら、

「商業道徳が進歩していない」

といった世間の評判がなぜ生まれてしまうのか理由をよくよく考え、一日も早く道徳が、物質的な文明の進歩と肩を並べられるようにしなくてはならない。そのためには、前にも述べたような「修身」 自分を磨くという方法を使って、道徳を説いていくのが先決問題だろう。しかしそれも、特別な工夫や方法を必要とするわけではない。ただ日常の経営において、自分の身を磨くよう心がけていけば、十分なのだから、それほど難しいものではない。

 

「論語と算盤」より

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パルトニー橋(イギリス)

 

(Kazu)