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「論語と算盤」渋沢栄一 その3

「論語と算盤」渋沢栄一 その2

↑前回ブログのつづきです

常識とはどのようなものなのか

動きやすい感情をコントロールするものは、強い意志より他にはない。だからこそ、「意」は精神活動の大本ともいえるものだ。強い意志さえあれば、人生において大きな強みを持つことになる。しかし意志ばかり強くて、他の「情」や「智」がともなわないと、単なる頑固者や強情者になってしまう。根拠なく自信ばかり持って、自分の主張が間違っていても直そうとせず、ひたすら我を押し通そうとする。

もちろん、こんなタイプも、ある意味から見れば尊重すべき点がないでもない。しかし、それでは一般社会で生きる資格にかけ、精神的に問題があって完全な人とはいえないのだ。強い意志のうえに、聡明な知恵を持ち、これを情愛で調節する。さらに3つをバランスよく配合して、大きく成長させていってこそ、初めて完全な常識となるのである。

現代の人は、よく口癖のように「意思を強くもて」という。しかし意志ばかり強くてもやはり困りものでしかない。俗にいう「猪武者」のような人間になっては、どんなに意志が強くても社会で役に立つ人物とはいえないのである。

つづく↓

「論語と算盤」渋沢栄一 その4

  • 「論語と算盤」渋沢栄一 その3

習慣の感染しやすさと、広まっていく力

もともと習慣とは、人の普段からの振る舞いが重なって、身に染み付いたものだ。このため、自分の心の働きに対しても、習慣は影響を及ぼしていく。悪い習慣を多く持つと悪人となり、よい習慣を身につけると善人になるというように、最終的にはその人の人格にも関係してくる。だからこそ、誰しも普段からよい習慣を身につけるように心がけるのは、人として社会で生きていくために大切なことだろう。

また、習慣はただ一人の身体だけに染み付いているものではない。他人にも感染する。ややもすれば人は、他人の習慣も真似したがったりもする。この感染する力というのは、単に良い習慣ばかりでなく、悪い習慣についても当てはまる。だから、大いに気をつけなければならない。

 

さらに、つづきます

 

現代語訳 「論語と算盤」 渋沢栄一 (訳)守屋淳 ちくま新書

(Kazu)